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村上龍(著)『69 sixty nine』を読んで

Vol.8
69 sixty nine
村上 龍 (著)

 

  

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先日お会いした方から村上龍の69 sixty nineをいただいた。ぼくが村上龍という人物に興味が湧いたことをブログで書いたのを見てわざわざプレゼントして下さった。今日はこの本とあとがきを読んで感じたことを少しだけ書く。

 

あらすじ

1969年、東京大学は入試を中止した。ビートルズのメロディーが流れ、ローリング・ストーンズも最高のシングルを発表し、ヒッピーが愛と平和を訴えていた。僕は九州の西の端の、基地の町の高校三年生。その佐世保北高がバリケード封鎖された。やったのは・・・もちろん、僕とその仲間たち。無垢だけど、爆発しそうなエネルギーでいっぱいの、明るくキケンな青春小説。

 

18歳の高校生に限らず、人がなにか行動を起こすときにはそれなりの動機が必ずある。特に多くの男子高校生が持つ『異性にモテたい』という願望は巨大なエネルギーの源だ。学生運動で揺れる1969年、主人公のケンはそんな不純な動機から様々な計画を企てる。

 

あとがき

この小説は村上龍の自伝的な小説だ。あとがきが素晴らしかったので一部引用する。

こんなに楽しい小説を書くことはこの先もうないだろうと思いながら書いた。この小説に登場するのはほとんど実在の人物ばかりだが、当時楽しんで生きていた人のことは良く、楽しんで生きていなかった人(教師や刑事やその他の大人達、そして従順でダメな生徒達)のことは徹底的に悪く書いた。

楽しんで生きないのは、罪なことだ。わたしは、高校時代にわたしを傷つけた教師のことを今でも忘れていない。

数少ない例外の教師を除いて、彼らは本当に大切なものをわたしから奪おうとした。

彼らは人間を家畜へと変える仕事を飽きずに続ける「退屈の象徴」だった。

そんな状況は、今でも変わっていないし、もっとひどくなっているはずだ。

だが、いつの時代にあっても、教師や刑事という権力の手先は手強いものだ。

彼らをただ殴っても結局こちらが損をすることになる。

唯一の復しゅうの方法は、彼らよりも楽しく生きることだと思う。

楽しく生きるためにはエネルギーがいる。

戦いである。

わたしはその戦いを今も続けている。

退屈な連中に自分の笑い声を聞かせてやるための戦いは死ぬまで終わることがないだろう。

 

ぼくは感情を感じるために生きている。

一瞬を楽しむため。一瞬を悲しむため。一瞬を喜ぶため。

これ以外に生きる意味はないと思っている。

 

誰かと比較しなければ生きていけない人間になりたくない。

でも人間である以上、誰かと比べてしまう。

だから退屈な連中に自分の笑い声を聞かせてやるのは、不条理なこの世界を生き抜く一つの処世術なのかもしれないなと、思った。

 

退屈な連中はこの小説を読んでみたらいいと思う。心の底から、ただ、笑える。 

69 sixty nine (集英社文庫)